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五丁目ラジオ2日曜サンデー<15時台>「大宮の氷川神社でガンダムを観た」
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薪能、ガンダム、ヘーゲル、Studio One、そして『美味しんぼ』の同人誌。一見すると何の集まりなのかよく分からない話題が、今回は「自分の経験を、どう作品に変えていくのか」という一本の線でつながっていきます。
オープニング:薪能を見に行ったら、赤と白の獅子がモビルスーツに見えた
寒空の下で鑑賞した薪能の話からスタート。
狂言の親しみやすさに油断していると、能『石橋』に赤と白の獅子が登場。その姿から連想されたのは、伝統芸能の様式美ではなく、アムロとシャア、あるいはガンダムとガンキャノンでした。能を正しく理解しているかどうかはさておき、人は未知のものを見るとき、結局は自分の頭に入っているマンガやアニメや映画を勝手に字幕として貼りつけてしまう。薪能を見ていたはずが、いつの間にか脳内では一年戦争が始まっています。さらに話は、神社の境内に現れた現代的なカフェへの微妙な違和感、Studio Oneのメーターがどうにも見づらい問題へ。古いものと新しいものは、きれいに融合するとは限らない。ときには神社カフェになり、ときには能舞台にガンダムが降り立ちます。
- 薪能
- 能『石橋』
- 狂言
- 赤獅子
- 白獅子
- ガンダム
- アムロとシャア
- 伝統芸能の見方
- 寒空の野外鑑賞
- 太郎冠者
- ガンキャノン
- 神社カフェ
- 古さと新しさ
- 誤読
- 連想
- Studio One
- 音声メーター
あらいごうゼミ:ヘーゲル『美学講義』若者の情熱より、老人の距離感が詩を生む?
ヘーゲル『美学講義』を読む「最高ゼミ」は、詩と歴史記述、弁論術の違いから始まります。歴史は、実際に起きた出来事から離れられない。弁論術は、法廷や政治の場で相手を説得するという目的から逃れられない。それに対して詩は、現実をそのまま報告するのではなく、詩人の内面を通して世界をもう一度組み直すことができる。そこで浮かび上がるのが、ヘーゲルの少し意外な見方です。出来事のただ中にいて、喜怒哀楽に激しく振り回される若者よりも、多くの経験を経て、世界と少し距離を取れるようになった老年期のほうが、優れた詩を生み出せるのではないか。もちろん、年を取れば自動的に名作が書けるという、そんな便利な年金制度のような話ではありません。重要なのは、情熱がなくなることではなく、情熱をそのまま叫ばず、ひとつの形にできることです。ゲーテやホメロスを手がかりに、創作者が自分の経験から距離を取り、それを作品へ変える地点を探っていきます。
- あらいごうゼミ
- ヘーゲル『美学講義』
- 詩
- 歴史記述
- 弁論術
- 詩人の主体性
- 老年期
- ゲーテ
- ホメロス
- 現実と創作
- 出来事との距離
- 若者の情熱
- 経験
- 俯瞰、
- 内面
- 世界の再構成
- 創作者の成熟
- 田中角栄
- 法廷
エンディング:十年続けるという現実と、ブラッド・ピット主演という妄想
後半は、自分たちが制作している『美味しんぼ』のZINEを、どうすればもっと多くの人に届けられるのかという話へ。
すぐに売れる方法を探すのではなく、まず十年続けてみる。そんな地道な覚悟を口にしたかと思えば、「細木数子級の存在になれる」「活動がNetflixでドラマ化される」「主演はブラッド・ピット」と、話は急速に大気圏を突破します。けれども、その大げさな妄想の下にあるのは、かなり切実な問題です。小さな活動は、有名にならなくても続けられるのか。続けるためには、誰かに見つけてもらう必要があるのか。承認を求めすぎれば活動は苦しくなるけれど、誰にも届かなければ、それはそれで寂しい。プロのライターを「対バン」のようにゲストへ招き、胸を借りながら自分たちも少しずつ前へ出ていく。壮大な野望と、かなり現実的な生存戦略が同じテーブルに並びます。
薪能の獅子をガンダムとして見ることも、ヘーゲルを読みながら自分たちの同人活動を考えることも、たぶん同じ営みです。
古典をありがたく拝むのではなく、自分たちの日常へ勝手に引きずり下ろし、使える言葉に作り替える。第139回は、伝統芸能と哲学を経由して、「創作は若さでするものなのか」「続けるとは何なのか」を考える回です。
- 『美味しんぼ』ZINE
- 同人活動
- 十年続ける
- 継続
- 承認
- プロのライター
- 対バン
- 活動の生存戦略
- 細木数子
- Netflix
- ブラッド・ピット
- ドラマ化
- アニメ化
- 知名度
- ゲスト
- 胸を借りる
- 小さな活動
- 地道な発信
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